1945年の春にドイツが連合軍に降伏し、第二次世界大戦を終わらせたとき、フォルクスワーゲンは所有者のいない会社に陥りました。
1945年6月5日、イギリス軍政府が管財人となり、ドイツを代表する自動車メーカーであるフォルクスワーゲーン社を英国が管理することになったのです。
管理した4年間が、今日のフォルクスワーゲングループの基礎を築いたことをほとんどのVW愛好家は知っていません。
VWを救ったドキュメンタリー
75年後、フォルクスワーゲンはその時代をドキュメンタリー映画で称えています。
タイトルは非常にシンプルで、イギリス陸軍少佐のイヴァンハーストがフォルクスワーゲンを再興する使命を説明したタイトルになっています。
28歳のエンジニアは、行動力、組織化、将来を描く才能を持っていました。
彼は破壊されたヴォルフスブルク工場を保護するために派遣され、工場を民間自動車工場に戻す使命を担ってリーダーシップを発揮しました。
フォルクスワーゲンヘリテージが制作した30分のドキュメンタリーは、1999年の最後のインタビューで彼が語ったハースト自身の言葉です。(彼は2000年に死亡)
廃墟の工場を管理するだけ
「当初、私の使命は非常にシンプルでした」とハーストは語り始めます。
「ヴォルクスブルクに行って、工場を見つけて、そこで管理者として座ってください。工場は実際にはそれがフォルクスワーゲンの工場であるとさえ判別できないほど破壊された廃墟でした。」
第二次世界大戦が終結したとき、フォルクスワーゲンヴェルクの所有者である国家社会主義組織ドイツアルベイツフロント(ドイツ労働組合)は存在しませんでした。
第二次世界大戦中、同工場は約20,000人の強制労働者を擁して軍事製品を生産し、それは1945年4月に解放され、1949年10月8日、フォルクスワーゲンヴェルクGmbHの管財人がドイツ連邦共和国に引き渡されました。
民間生産を目的とした機械や工具の多くは、戦争中に別の場所に保管され、返却されました。工場の損傷はかなりのものでしたが、修復可能であり、フォルクスワーゲンサルーン(後にビートルとして知られている)の民間生産が可能であるように見えました。
生産、生産、そして生産
ハーストは、経済的な車両生産がイギリス軍の輸送のボトルネックを改善するのに役立つと同時に、荒廃したドイツ経済を始動させることを強く認識していました。
1945年8月22日、イギリス軍政府はイギリス軍政のために2万台の車両を供給する命令を出しました。2週間後、さらに2万台の注文が本国から舞い込みました。
最初の民間車両は1945年12月27日にすでに工場から出荷されていましたが、工場の将来は不透明なままでした。
イギリス本国を説得するドイツ代表
戦後のドイツでは、鉄鋼、電池、繊維、ガラスなどの部品や原材料が非常に不足していた為、ハーストはイギリス軍政府に必要な資材を割り当てるよう説得し始め、何度も何度も本国からはNOの返事が繰り返されるなかで、ついにYESを勝ち取ることが出来ました!
本国を説得したのは、ドイツ人ではなく、ドイツ代表のイギリス人です。
イギリスは生産原材料の不足と厳しい冬の条件のため、1000台目の車が生産されるまでに約3か月かかりましたが、1946年3月以降、労働条件は改善され、自動車生産数は着実に増加し始めました。
精鋭達が改善を繰り返す
イヴァンハーストの部下には優秀な人材が集められました。
ハーマン博士は1946年6月に工場の総責任者になり、次の18か月で彼とイギリスの評議員は車両の品質と製造工程を改善します。その管理下にドイツ人技術者も採用され、そのうちの一人であるハインリッヒノルドホフは1948年1月1日にマネージャーに任命され、それまでにヴォルフスブルクの工場は、戦後の破壊された廃墟の姿だった工場跡から奇跡的な復興を果たし、8700人の従業員を擁する十分に機能する自動車工場になりました。
1949年10月8日、イギリス軍政府はフォルクスワーゲン社の管財人をドイツ政府に譲渡しました。
世界へ羽ばたくVW
1945年8月にヴォルフスブルクに到着したハースト少佐は、彼の4年間で成し遂げられたことを誇りに思っていました。「労働力、ドイツの経営陣、実績のある製品を備えた、すぐに使える工場に変身することが出来ました。」とハーストは振り返ります。
「そして、1948年に通貨マルク(ドイツの貨幣)が変動相場制に移行した時、フォルクスワーゲンは世界に向け輸出が始まり、飛躍的な成長の第一歩を記すことになりました。
誰も知らないフォルクスワーゲンの歴史を変えた4年間ですが、この4年間がなかったら現在のVWはなかったでしょうね。
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